小さな鉄板焼屋の大きなつぶやき。

日々の出来事・想い・人生観・夢・スポーツ・映画・音楽・本・歴史・グルメなど、大きなつぶやきを通して1人でも多くの人と素敵な『想い』が共有できることを願います!

『美味しいお酒』と『本荘公園』

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春の本荘公園

・・・・・【久しぶりのブログ更新です。

書こうと思うとついつい気構えてしまい、

文章も重く、そして長くなってしまいました。反省。。。

今後はもっと気楽に、率直に、そして短く書いていこうと思っています。

頻繁に更新できるように!】・・・・・

 

秋田県由利本荘市の市役所脇に『本荘公園』があります。

春の桜やつつじが美しく、初夏の木々の緑も鮮やか!

園内はとてもきれいに整備されていて、いつ行っても気持ち良く、

週に何度も散歩を楽しんでいます。

そして公園の高台に鎮座する、街をやさしく見守っている紳士の像に

いつも話しかけています。

『美味しいお酒をいつもありがとう!』と。。。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

わたしが日本酒の本当の美味しさに気付かされたのは、

恥ずかしながら35歳を過ぎてからです。

それまでは残念ながら、『記憶を無くす危険なお酒』という印象すらありました。

本当に美味しいお酒や美味しい飲み方を知らなかった!のです。

今思うと、本当に恥ずかしい限りです。(赤面。。。)

美味しさに気付くきっかけは、

日本酒の『山廃仕込み』との出会いからでした。

日本酒はどちらかと言うと、『甘いか辛いか単純な味』。

という印象すら持っていました。

ところが、実際その『山廃仕込みのお酒』を飲んでみると、

『香り豊かで、甘さの中の程よい酸味が心地よく、切れ味がさわやか!』

だったのです。

その瞬間から『山廃仕込みの虜』になり、

それをきっかけにして、様々なお酒の美味しさを知ることができました。

日本酒の良さは、日本酒の持つ芳醇な味や香りはもちろんのこと、

やはりお酒に合う肴と融合することで、

“お酒も肴も、口の中で何倍もの美味しさに広がる楽しさ!”です。

(・・・料理に合わせてワインを選択するのと同じですね。単独で飲むと

とっても渋いワインであっても、味の濃い料理などに合わせると、

何とも言えない美味しさ(マリアージュ)に変化します!・・・)

吟醸酒のようなさらっと辛口の日本酒は、

やはり繊細なお刺身などにはぴったり合うと感じます。

まったりと甘く濃い日本酒などは、

ちょっとお燗してじっくり飲むのも美味しいですが、

味の濃い料理や煮込み、肉料理など、

基本的にご飯に合う料理にはぴったりとはまって旨い!

ビールや焼酎も個人的には大好きですが、

やはり相性のいい料理と日本酒が合わさった時の、

『爆発的な美味しさの広がりと感動!』は、

日本酒で感じることが多いように感じます。

やはり日本人であり、ご飯を主食にしているせいもあるのかな?

(ちなみに、ナポリタンなどのトマト系パスタと赤ワインの

マリアージュもすごい!!!と感じます。

 今更ですが、最近この組み合わせにもはまっています。。。)

・・・・・・・・・・・・・・・・・

本荘公園の高台に鎮座する、街をやさしく見守っている紳士の像は、

齋彌酒造(雪の茅舎)の創業者である『齋藤彌太郎』さんです。

そう、私が日本酒の美味しさを気付くきっかけになった日本酒は、

齋彌酒造の銘酒『雪の茅舎 山廃純米酒』です。

本当にありがとう。

こんなに美味しいお酒を届けてくれて。

そして、

これからもたくさんお世話になります!!!!!

・・・明日も公園にお礼を言いに行かなくちゃ!(超笑顔)

 

 

 

 

 

 

『スポーツ』という名の戦争

 

 

 

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いよいよ、2018サッカーワールドカップ・ロシア大会が幕を開けました!

今日は2018年6月20日です。

そうです!!

昨夜『日本対コロンビア戦』があった翌日です。

まだ始まったばかりですが、昨夜の歓喜と感動は、未だに私の体を熱くしています。。

 

私自身も幼い頃からいろいろなスポーツをすることが大好きで、

小学生の頃は本気で『プロ野球選手になりたい!』と思っていました。

それが中学生になり、自分の野球選手としての限界が見えてきて、

高校進学と共に

『やったことのないスポーツをやって、自分の新たな可能性を見出してみよう!』

と思い立ち、幼い頃に見たテレビドラマの『スクールウォーズ』に影響を受けたことも

あり、ラグビー部に入りました。

ちょうど入部する前年に、当校が県高校総体で初優勝をしており、練習を見学に行くと

どの選手も明るく楽しそうで、活気があり、すぐに入部を決断することができました。

 

 実際入部してみると、練習はとても厳しいものでしたが、自分を極限まで追い込み、

苦しい練習を乗り越え、試合に勝った時の喜びは格別なものでした。

そして競技を通じて得た一番の宝物は、苦楽を共にした仲間ができたことです。

一緒に悩み、苦しみ、笑い、そして体を張って共に戦ってきた仲間たちです。

部室などではラグビーの話しより、どうでもいいような『バカ話し』ばかりしていま

したが、いざ試合になると人が変わったように怪我を恐れず、勇敢に相手にタックル

しにいく、そんな仲間たちと一緒にプレーし、試合中に感動して泣きそうになったこと

もありました。

もちろんそんな仲間たちに鼓舞され、私自身も無我夢中でプレーした学生時代の経験

は、今でも、私の考え方や生き方の礎になっています。

 

今では年齢的にすいぶん大人になってしまいましたが、日々の生活の中で、

精神的にも肉体的にも、かなり苦しい状況に追い込まれても、

学生時代の頑張りを思い出すと、絶対に乗り越えられるような気がします。

《追い詰められれば、追い詰められるほど、強い自分が出てくる!》

そんな変な自信が身に付きました。

それほど学生時代は勉強に追われ、時間に追われ、部活でのハードな練習に追われ、

全く見えてこない将来への大きな不安が容赦なく襲ってくる毎日でした。

それ故に、ラグビーに没頭するしかなかったのかも知れません。

 

そんな熱い青春時代を過ごしてきました。

そのせいもあってか、今でもスポーツを見ていると、自分がやっているかのごとく

熱い気持ちが溢れ出ます。

テレビで観戦しながら、もっぱらうるさく熱い応援団長になっています。

 

どんなスポーツでも好きで、熱く応援しますが、

中でも、海外で活躍する日本人が出場するメジャーリーグ・ベースボール』と、

日の丸を背負って外国と戦う、サッカーの国際試合』は大好きです!

その理由は、日本人が日の丸を背負い、外国の代表選手と戦うスポーツは、

自分が 日本人であることを再認識できる瞬間であり、

競技のレベルも国内戦よりはるかに高く、

それ故に勝利した時の喜びも大きく、

大いに日本人としての誇りを感じられる瞬間だからです。

 

スポーツそのもののゲーム性や駆け引き、技術などを見ていてもとても楽しい

のですが、心と体を極限まで鍛え上げきたアスリートたち同士が、己の人生を懸けて

真剣勝負する姿はとても美しく、感動無くして見ることはできません。

 

どの選手もその戦いの為に、最大限の努力をしてやってきます。

しかしその勝負に勝てるのは、たいてい1人や1チームのみ。

その勝者と敗者を分けるのは何だろうか?

ゲームを見ながら、いつも考える疑問です。

努力の質なのか?努力の量なのか?素質なのか?はたまた運なのか?

きっとこれらの要素が複雑に絡み合い、そして結果はもたらされると思います。

まずは質の良い努力をすること。しっかりと考えて努力すること。

その前提には、その競技に順応する、その人の素質も重要。

そして、ここぞという時に、最善のタイミングで能力を発揮する集中力と瞬発力、

そして持って生まれた《運》も重要であるように感じます。

しかし《運》に関しては、先天的な部分も多いとは思いますが、

それよりは努力や考え方によって引き寄せる、後天的な《運》というものを

私は信じています。

 

大事な場面で運を引き寄せるものは、

人一倍努力し、鍛え上げてきた肉体と精神力だけが放つことができる、

目に見えない勝負師としての華麗なオーラではないでしょうか。

 

 スポーツを行うことは純粋に楽しい。

見ている側も楽しく、たくさんの元気がもらえる。

しかしスポーツというゲームを通して、

時には、

『スポーツという名の戦争』に発展している!

という事実も忘れてはなりません。

 

血と血を争う戦いだけが戦争ではありません。

国の威信と誇りを懸けて、必死に他国の代表とスポーツを通して戦う姿は、

立派な『スポーツ戦争』であると私は思います。

 

しかし戦争はゲーム中のみ。

ゲームが終わればお互い戦うことを止め、お互いの健闘を讃えあい、

ラグビー用語でよく使われる『ノーサイド』として、敵も味方もない、

共に闘った大切な友人となるのです。

それこそが絶対的なスポーツのルールであり、

国際試合の最大の魅力ではないでしょうか?

 

己のため、応援してくれるみんなのためにも、戦いに勝利したい!

勝利して初めて、今までの努力や苦労が報われ、自分の生き方に自信が持てる。

そして、

同じ国民・民族に、たくさんの歓喜と感動をプレゼントすることができるのです!

 

戦いにおいては、時には敗北もします。

しかし敗北から得られるものもたくさんあります。

次の勝利へのヒントとモチベーションは、勝利より敗北から多く得られる気がします。

 

どんな試合においても、勝者の数は限られています。

それ故に、どんなに努力をしても、勝者になれない場合が多いのが現状です。

それ故に!

勝者に対しては、国境を越えて、全世界の人々に称賛される資格があります。

そして、応援した側に対しても、この上ない喜びと感動をもたらすのです。

 

『スポーツ』というものは、全世界共通のルールが存在しており、

そのルールに則って国同士が戦う、いわばフェアプレーです。

ですから仮に敗北しても、遺恨は残らず、それより相手に対しての称賛の気持ちが

沸き起こります。決してそのことにより、相手をののしったり、報復は考えません。

 

しかし政治上の国同士の戦いはどうでしょう?

残念ながら、スポーツとは全く真逆のような気がします。

ルールを守らず、フェアに戦うことはなく、ただ勝つことだけが目的になっています。 

また、多くの犯罪や戦争というものは、スポーツをやる環境が乏しい地域に多く発生

するようにも思われます。

犯罪や戦争が、スポーツをやる環境を破壊している例も多い気がします。

 

世界中がスポーツを振興する。

世界中があらゆる国でスポーツができる環境を支援しあう。

そういう環境ができたなら、国と国との理解はスポーツを通して深まり、

誤解は解け、スポーツを通してもっと友好関係が図れるのではないでしょうか?

お互いを尊重しあい、共に世界の平和と発展を願うことができるはずです。

 

国際情勢はそんな単純なものではないと思います。

でも少しでもかすかな光明が期待できるのであれば、今以上に推し進めて欲しい!

それだけスポーツには無限の魅力と、無限の可能性があるように思います。

 

これだけ私たちの胸を熱くするもの。

それは『世界を変えるだけの力の表れ』だと思うのです。

大谷翔平の活躍が、国境を越え、人種をも越え、世界中の人々の心を魅了するように。

 

『スポーツ』という名の戦争。

 

健全なる戦争で、たくさん感動しよう。

 

健全なる戦争で、世界中の多くの人々に、平和と感動と幸せが訪れますように。

 

祈りを込めて。

 

追伸。

日本は決勝トーナメントに進み、初戦でベルギー代表に逆転負けしました。

日本時間で早朝3時からの試合。

前日から眠らず応援しました。

観戦途中で寝てしまうかな?という少しの不安がありましたが、

そんな不安を吹き飛ばしてしまうような素晴らしい試合でした!!

後半の早い時間に、日本の原口選手と乾選手のスーパーゴール!!!で2点先取!

いける!初のベスト8にいける!! と深夜にもかかわらず発狂しました。

しかしその後、ベルギーの怒涛の反撃!

結局まさかの2-3での終戦。。。

私もかなり悔しかったのですが、戦った日本代表はもっともっと、もっと!

私たちが想像する以上に悔しかったはずです。

 

日本が2点リードした段階で、チーム全体が引いて守り、

『守備的なサッカー』をしたなら勝っていたかも知れません。

しかし西野ジャパンはそれをやらなかった。

やらずに3点目を狙いにいった。

その結果の逆転負け。。。

攻めて、攻めて、そして負けた。

この結果に私自身は納得しています。

悔しいですが、同じ日本人として誇らしくすら感じています。

 

今回の日本代表は、新しい景色(W杯ベスト8)を見ることはできなかった。

しかし、次世代の日本代表に対しては、最高のプレゼントをしてくれた。

日本の魂を、誇りを、そして戦う真の姿を。

時には必要かも知れないが、守って、守って、小賢しく勝って欲しくない。

ポーランド戦の時間稼ぎは世界のサッカースタイルであり、日本のスタイルでは

 ないと思う。そこに西野さんの葛藤もかなりあったと思うが、ベルギー戦の戦い方

 で改めて日本の進む道が見えたのではないでしょうか?)

結果よりも、勇気ある真の戦う姿を、全世界に魅せて欲しい!

今回のワールドカップのように。

そして、それが今後の『日本サッカーの形』になることを切に願います!

 

サッカー日本代表、本当にお疲れさまでした!

すごくかっこ良かった! すごく気持ちが伝わりました!

感動、そして真の勇気をありがとう。

必ず、今大会の悔しさは、次世代の選手に継承されます。

そして必ず大きな力になるはずです!

 

本田選手が言うように、

日本がいつの日か『ワールドカップで世界一』になる。

その夢が、夢でなくなる。

そんな日が訪れる予感を感じさせてくれる、

素晴らしい2018ロシア大会でした。

 

 

 

 

 

 

 

『たいせつなことは、いつも歴史の中にある。』

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【写真:坂本龍馬生誕の地・高知県桂浜】

 

私は読書が大好きです。

その理由ははっきりしています。

《自分に足りないものを補填する》ためです。

 

自分の人生で経験できることは限られています。

しかし、本によって多くの先人の人生を知ることにより、

その経験や考え方など、多少なりとも自分の人生の一部にすることはできます。

 

『たいせつなことは、いつも歴史の中にある。』

 

これは作家・司馬遼太郎さんの言葉です。

 

私は最近『司馬遼太郎』さんの本しか読んでいません。

彼の作品の多くは、史実に基づいた『実話』であるにもかかわらず、

登場人物のカリスマ性、話しの面白さ、リアリティ、躍動感、予期せぬ結末など、

まるで壮大かつ娯楽性の高いフィクション映画を観ているようです。

 

そしていつも『生きるためにたいせつなこと』を教わっています。

 

私は10代後半から20代の頃は、『村上春樹』さんの作品が大好きで、

暇さえあれば片っ端から読んでいました。

普段の日常から非日常へと移行していく物語の展開がファンタジーのようで、

それでいて、日常に存在するようなリアリティーさが魅力でした。

一見退屈そうな生活の中にも、豊かでオシャレな空間が小説いっぱいに広がっており、

知的好奇心が大いに刺激され、とても楽しく読ませていただきました。

 

また、国際ジャーナリストの『落合信彦』さんの本もかなり読みました。

海外で活躍する彼の姿を見て、本気で海外に行きたい!と思いが募ったものです。

 

実業家では、京セラ創業者『稲盛和夫』さんのビジネス書や自伝を愛読しました。

いずれは私も、実業家として生きていきたい!と強く思い、

貪欲に生き方や考え方を学ばさせていただきました。

 

そして30歳の頃だったでしょうか?

たまたま読んでいたビジネス雑誌の中で、

『若き社長が愛読する本』

という特集が組まれていました。

 

するとなんと!驚くことに12,3人中の半数近くの社長が、

司馬遼太郎さんの『竜馬がゆく』が愛読書と書かれていました。

とても!驚きました。

てっきり、実業家や偉人が書いたような本が愛読書だと思ったからです。

 

『ビジネスマンが歴史小説? 愛読書? なぜ???』

 

私はそれまで、司馬遼太郎さんの名前は知っているものの、

作品は読んだことがありませんでした。

歴史小説を書いている有名な人』という認識しかありませんでした。

 

学生時代から歴史は好きでしたが、日本史は年代や年号ばかり記憶させられる

イメージが強く、あまり好きではありませんでした。

その点世界史は、雄大なスケールで数多くの名作映画もあり、

物語性も高くて面白く、学校の教科でも選択して学んでいました。

それ故に、日本の歴史を読んだり、学ぶ機会を失ったように思います。

 

私は早速、なぜ若き社長は『竜馬がゆく』を愛読するのか?

ということが気になり、全巻購入して読み始めました。

そしてすべて読み終わった時の率直な感想は、

 

『なぜ今までこの本を読まなかったのだろうか?

 なぜ今まで日本の歴史を知ろうとしなかったのだろうか?

 日本人として、もっともっと日本を知らなきゃいけない!

 日本人の魂を継承していかないといけない!』

 

という強い思いが沸き起こりました。

 

断片的には日本のこと、日本人のことは知っているような気がしていましたが、

1人の青年(この場合は坂本龍馬)の目を通し、とりわけ激動の時代を生き抜いて

いく彼の姿を読み進めていくと、学習してきた日本史とは全く違う日本を見つける

ことができたのです。

 

『日本史は特別な歴史ではなく、私たちと同じような心と体を持った日本人が、

たくさんの失敗をしながらでも、懸命に生きてきた証に過ぎない。』

 

ということを強く感じとったのです。

 

『特別な歴史』ではない以上、

時代が変われども、今を生きるわたしたちと同じような悩みを持ち、たくさん失敗し、

そして試行錯誤しながら懸命に生きている。

時代が変われども、わたしたちの生き方そのものは変わってはいない。

だからこそ、

時代が変われども、

『たいせつなことは変わらない。。。』

 

現代を生きる私たちが『たいせつ』にしなければいけないこと。

『歴史を知り、歴史から多くを学ぶこと。』

『日本の文化を学び、尊び、大切なものはしっかりと伝承すること。』

『先人たちの過ちや成功はもちろん、先人たちが身を犠牲にしてまでも、

 後世の今を生きるわたしたちに伝えたかったことを知ること。』

 

 これらのことを、わたしたちがたいせつに考え、日々実践していけるのなら、

もっとわたしたちの生活には、潤い・喜び・生きがいが多くあるような気がします。

そしてもっともっと魅力的な社会があり、住みよい日本があるはずなのです。

 

話しを戻してみます。

若き社長が『竜馬がゆく』を愛読する理由。

それは、

先人たちの熱き想いをしっかりと受け止め、

先人たちが命を懸けて築き上げてきたこの国を守り、

先人たちに恥じない生き方をしたい!

そして自分たちが、

坂本龍馬のような、

純粋で私利私欲のない心を持って、

この国の為にひと肌脱がなければいけない!!

 

そういう思いが、若き社長の起業家精神ベンチャースピリッツ)につながっている

のではないでしょうか。

 

『たいせつなことは、いつも歴史の中にある。』

 

歴史を見ずして、明日は語れないような気がします。

 

日本人として、誇りと勇気と正義感を持ち、今日も1日精一杯生きよう!

 

先人のためにも。

 

自分のためにも。

 

この国のためにも。 

 

東日本大震災と父の死

 

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 【写真:石巻市牡鹿半島・寄磯浜の漁港】

 

私の父親の故郷は、宮城県石巻市牡鹿半島の外れにある『寄磯浜』という所です。

父がその故郷を離れ半世紀以上経ったある日、

『生まれ育った寄磯に行ってみたいなあ。』とつぶやきました。

もう父親の年齢は70代後半になっていました。

『時間ができたら、そのうちに連れて行くよ。』

私はそう軽く返答しました。

 

その会話から1年後。

東日本大震災が起こりました。

2011年3月、私は秋田県由利本荘市という震源地からは程遠い所にいましたが、

それでも、その地震の揺れの大きさに驚きました。

ちょうど飲食店である職場で、その日の宴会準備の真最中でした。

大きな横揺れが長く続き、お店のボトルやお皿などを押さえつつ、2階に住んでいる

両親のことが気になり、慌てて行ってみると、リビングにある金魚の水槽が大きな横揺

れの為に水が飛び散り、それを必死の形相で押さえている父の姿がありました。

そして間もなく、全ての電源が落ち、停電となり、不気味な静寂が訪れました。。。

 

その大震災を境に、父は『故郷に行きたい』とは言わなくなりました。

 

父の故郷である牡鹿半島は、大震災による津波の影響でかなりの被害や犠牲者が出て

いました。父の知る故郷は『すべて消失した』というような噂も耳にしました。

 

そんな父も2016年に他界しました。

結局故郷を見ることなく。。。

 

今年2018年5月には、父の3回忌法要が営まれ、それを機会に私を含め親族で

父の生まれ故郷の牡鹿半島に行き、供養してこようと思い立ちました。

母親以外は誰も行ったことのない場所でした。

 

前日に宮城県入りし、秋保温泉で一泊しました。

牡鹿半島に向かう当日はあいにくの雨。

不安と緊張が、冷たい雨の為に一層深まりました。

 

『どこまで復興が進んでいるのだろうか?』

『無事に父親の故郷に辿り着くのだろうか?』

 

誰も口には出しませんでしたが、みんな同じ気持ちだったと思います。

 

仙台市内は相変わらず交通量が多く、街にも活気を感じました。

しかし石巻市に近づくにつれ、ダンプなどの工事車両が多くなり、工事中の道路や

新しく作られた堤防なども多く目に付くようになりました。

 

街は何事もなかったように佇んでいても、無言のメッセージがいたる所から

発せられているような気がしました。

 

石巻の工場地帯をすり抜け、大きな橋を渡り、ついに牡鹿半島に車は入りました。

徐々に人影が少なくなり、建物がまばらになってきました。

道路はいたるところ崩れており、工事中が多くなってきました。

これも地震の影響なのかもしれません。

車のナビを頼りに、どんどん進むにつれ、無事に帰って来れるか不安になりました。

 

『果たして、無事に、父の故郷まで道が続いているのだろうか?』

 

道路は車1台通るのが精一杯なほど道幅が狭く、対向車が来るとかなり厳しい感じで

した。おまけに走っている車は大きなダンプばかり。。。

行く途中に漁港がいくつかありましたが、どこの漁港にも人影はありませんでした。

そして民家も、建物もない!

あるのは新しく盛土された、何もない土地ばかり。。。

 

津波で民家などはすべて流されてしまったのだろうか?

 

そう思うと、寂しさと悲しさが一気に押し寄せてきました。

まずは前を向いて、少しでも早く、父の故郷に辿り着かなくては!

そう自分に言い聞かせ、必死に車を走らせました。

車内には親族5人が乗っていましたが、ほぼみんな無言になってしまいました。

 

結局牡鹿半島に入ってから2時間近く経過したでしょうか?

沿岸にもかかわらずかなりの険しい山道で、途中迷ったり、引き返したりしながら

どうにか父の故郷である『寄磯浜の漁港』まで辿り着きました。

やはり父が生まれ育った家や近辺などは分からず、漁港まで来るのがやっとでした。

その場所でみんなで手を合わせ、そして写真を撮り、いにしえの父の姿を想像し、

足早に立ち去りました。

雨は冷たく、気温は低く、寒くて、寂しくて、帰路の不安だけが頭をよぎりました。

 

帰りの車中で私はずっと考えていました。

何かが私に語りかけてくるような気がしました。

 

故郷、思い出、自然災害。。。そして何もない故郷。。。

。。。復興、新たなる旅立ち。。。。。

 

これらのキーワードと共に、頭の中でぐるぐる考えていると、

あることばが浮かびました。

 

『自然は自然に還る。』

 

せっかく人間が開拓し、家を建て、そこで生活しても、人は必ず死んでしまう。

そして家や畑や漁港や工場など、人が死ねばすべては朽ち果て、そして自然に還る。

たくさんの思い出も一緒に。

人間は自分たちの営みを、永遠のものと錯覚し、そして後世末長く続くことを願う。

しかし、形あるものはいつか必ず無くなり、自然に還る。。。

 

そしてわたしが最も強く感じたのは、

 

地震などの自然災害は人間にとっては災害だが、自然にしてみれば災害ではなく、

 当然の自然現象であり、自浄作用だったのだろうか?』

 

ということです。

私は決して人間を卑下してはいません。

亡くなられた人たちや、残された親族たちの深い悲しみも痛いほど良く分かる

つもりです。

だからこそ、自然災害は特殊なことではなく、自然が自然としてそこにある以上、

人間が理解した上で寄り添わないといけないと思うのです。

 

自然は人間だけのものではありません。

 

人間だけが都合良く使える場所ではありません。

 

『自然は自然に還る。』すなわち、『自然は常に自然に還ろうとする。』

 

これは誰も止めることはできない、自然の原理原則のような気がするのです。

 

人間が死ねば灰になり、土に還るように、自然も時が時がくれば自然に還り、

 

人間の手つかずの『本来の姿』に戻る。

 

そう考えると、地震や噴火などの自然災害は、『自然の怒りや異変』ではなく、

 

自然が自然に戻る為の、必要不可欠な自然現象なのかも知れません。

 

大震災から父の死。

たくさんのことを考えさせられました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

登山家・栗城史多(くりきのぶかず)

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登山家・栗城史多(くりきのぶかず)。

彼を知ったのは『カンブリア宮殿』というTV番組でした。

少年のようにきらきらと眩しい笑顔で夢を語るその姿に、

好感と共感を持ったのは、私だけではなかったと思います。

それからというもの、彼のエベレスト挑戦(冒険の共有)を陰ながら応援し、

そして見守ってきました。

そうした最中、まさかの訃報が。。。

とても驚き、そしてとても残念です。

 

しかし挑戦には始まりがあり、そして必ず終わりがある。

そして成功があれば、必ず失敗もある。

『成功』も『失敗』も『挑戦』であることに変わりはない。

彼が目指していた『エベレスト挑戦(冒険の共有)』に変わりはない。

 

彼の挑戦から、私たちはどんなメッセージを受け取ったのか。

たくさんのメッセージを受け取ったことは間違いありません。

それらのメッセージを私たちに送ることが、

『彼の挑戦』であり、『冒険の共有』だったと思います。

 

彼の訃報を受けて、『彼の冒険は無謀だった』とか『無謀な冒険を周りが後押しした』

などという記事も拝見しました。

しかし彼の挑戦は、成功だけを目指したものではなく、

『成功も失敗も、挑戦なくしてはあり得ない。挑戦することが今の時代には

とっても重要なことなんだよ。失敗を恐れてはいけないよ。』

というメッセージだったと思います。

だからこそ、彼は敢えて困難な登山(難ルート・無酸素・単独)を選択してきた。

成功が一番の目的ではなく、果敢にチャレンジする夢を共有したくて。

 

とっても不器用だけど、とっても純粋な人だったと思います。

 

彼の挑戦は決して失敗ではなかった。

しっかりとメッセージを送ってくれた。たくさん送ってくれた。

これだけははっきり言えます。

 

栗城さん、安らかに。 そしてありがとう。。。

 

 

 

 

 

1日、生きることは、1歩、進むことでありたい。

 

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『1日、生きることは、1歩、進むことでありたい。』

これは私が『座右の銘』として大切にしている、湯川秀樹さんの言葉です。

たくさんの困難や悩みが日々多くあっても、

それを正面から受け止め、前向きに何とか1日頑張って生きる。

そして明日も頑張ってみる。

そうすることで『1歩前に進むこと』ができたならば、

1日生きることはなんて素晴らしいことなんだろう。

そう単純に理解しました。そして感動して涙が出ました。。。

ちょうど私が小学生の頃でした。

思い悩んでいた時期でした。

だからこそ、この言葉が重く、そして深く、私の中に入ってきました。

つい昨日のことのように感じます。

 

今のわたしが、『1日、生きることは、1歩、進むことでありたい。』

という言葉を念ずると、小学生の頃とは少し違う感情が沸き起こります。

それは、『1日生きることによって、少しでも何らかの価値ある経験や

知恵、技術などを身に付け、人生に生かしていきたい』というものです。

小学生の頃の理解とは少し違うような気もしますが、

言葉の本質は、『1日を大事に生きる!精一杯生きる!そうすることにより

きっと道はきっと開ける!』

という、強く前向きなメッセージであると思います。

 

今、わたしは40歳も過ぎ、結構いい年齢になっています。

しかし頭の中はいまだに、

『1歩前進しなきゃ!』

『自分にできること、今しなくちゃいけないことは、

まだ他にあるんじゃないだろうか?』

などと、日々自問自答しながら生きています。

まずは本業の『小さな鉄板焼屋』で美味しい料理をたくさん作り、

1人でも多くの人に食べてもらう。

そして『美味しい!』という、いっぱいの笑顔を作りたい!

そして料理以外でも、もう少し自分の考えや想いを他の方々と共有し、

少しでもこの社会の力になることができれば、この上ない喜びです。

そう思い、このブログを書いてみよう!と決意しました。

 

私は趣味が多く、物事をいろいろ考えたり、分析したり、自分なりの法則

などを発見することなども大好きです。

今後少しづつ書いていきますね。

  

乞うご期待!?